HIDEKI MATSUYAMA Sponsored byNTT DATA
Column
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#05

2022.12.19

聖地に松山英樹が残した軌跡

東に北海を望むスコットランドの海岸沿い、セントアンドリュースは9世紀から長きにわたって司教座聖堂を構える聖なる街として栄えた。16世紀には宗教戦争や内戦の戦火を交え、その記憶は今も廃墟として残る城壁をはじめとした石製の遺跡の一部が伝えている。

街の中心を成すのは、1413年に創設された、スコットランドで最も古い歴史を持つセントアンドリュース大学。英国が誇る名門校の学園都市はそして、ゴルフの聖地としても時を紡いできた。

神と自然が創りたもうたコース――。現存する7つのコースのうち、最も古いオールドコースが開場されたのは1552年。今日まで550年以上、整然と「あるがまま」の精神をゴルファーに宿してきた。

ゴルフの総本山R&A(ロイヤル・エンシェント・ゴルフクラブ・オブ・セントアンドリュース)のビルに見守られた伝統のコースは、世界中のゴルファーの尊敬と羨望の眼差しを最大級に集める反面、厳かな雰囲気とは一線を画した伝統的な風景に溶け込んでいる。

 雅趣に富んだ家屋や飲食店、ゴルフショップが軒を連ねる街並みは、故郷を愛する生活者の日常の音に溢れている。石畳の地面でリズムを刻む足音、海岸線を飛び回る野鳥の鳴き声。そこに数年に一度、伝統楽器バグパイプによるスコットランド民謡のメロディが加わるのが世界最古のゴルフトーナメント・全英オープンの時間である。

 2015年以来、新型コロナ禍を経て7年ぶりにセントアンドリュースを舞台にした全英オープンは1860年の初開催から150回目を迎えた。聖地での記念大会。マスターズチャンピオンの松山英樹にとって、クラレットジャグを争う戦いは3年ぶりだった。

初日

 初出場の2013年に6位の成績を残した全英だが、それ以降はトップ10入りがなく、直近4年は決勝ラウンドに進むことさえできないでいた。

 午前10時20分に初日の1番ティに立った松山は序盤3番でボギーを先行させながら、5番パー5でバーディを奪い返した。8番で2つ目。移り気な風を読み込み、丁寧にホールを進めていく。

メジャーではスタート時から決して出遅れることなく、傷口を最小限に抑えながらチャンスをうかがうのが定石。「ミスもありながら最低限のプレーはできたかなとは思います」と4バーディ、3ボギー、71のスコアには伸ばしきれなかった悔しい思いと、巻き返し可能な状態を自認する手ごたえが同居していた。

 ハイライトは、ゴルフの歴史の中心であり続けた、穏やかなセントアンドリュースの風景に溶け込んだシーン。後半17番、フォローの風に乗った2打目がグリーンの右サイドにこぼれた。止まったのはアスファルトの上。石垣に大挙したファンを後方にして、松山は9番アイアンでボールを繊細に打ち出した。砲台グリーンを駆け上がった第3打はピンそば2mに。目の肥えたスコットランドの人々に妙技を見せた。

 球を拾い上げて救済措置を受けられないエリア。開幕前のコースチェックから準備に抜かりはなかった。石垣の近くから、壁で跳ね返してグリーンにのせる練習も行っていた。想定の範囲内だったからこそ「うまくいって良かった」と事もなげにホールを終え、最終18番のバーディフィニッシュに繋げた。

2日目

 2022年大会の主役はタイガー・ウッズだった。前年2月に米カリフォルニア州での自動車の単体事故により右足に大けがを負い、カムバックしたシーズンの自身3戦目。5月には全米プロゴルフ選手権の3日目終了後に途中棄権。生ける伝説は過去に2勝を挙げた聖地で誰よりも温かく迎えられた。

 松山が第2ラウンドのプレーを始めようかという午後3時過ぎ。ウッズは最終18番のフェアウェイを歩き、スウィルカンブリッジを渡った。長く響く拍手。世代交代、時代の移り変わりを感じさせるシーンに誰もが足を止めた。

 1番をしっかりバーディで滑り出し、迎えた3番で松山はピンの奥、9m近いパットをカップの左縁から沈めて2つ目を決めたが、勢いはその後グリーンで停滞した。チャンスを確実にものにできずパーを並べ、13番でティショットをフェアウェイバンカーに落としてボギーを叩いた。

 16番では左隣の3番ホールからギャラリースタンド越えの第2打を放ったがグリーンにのらずボギー。続く17番もショートパットのミスで連続ボギーにした。

 72でまとめたことで5年ぶりに決勝ラウンドに進出したが、会心のスタート3ホール以降に不満が残った。「なかなか思うようにプレーできなかった」という展開はそして、ムービングデーも続いてしまう。

3日目

 好天に恵まれた3日目のセントアンドリュースでは下位からも突き上げる選手が続出した。その中に松山の名前はなかった。

前半4番の3パットボギーで挽回ムードは出端をくじかれ、6番では痛恨の大たたき。ドライバーショットを左右に散りばめられたバンカー群のさらに右のブッシュに入れ、アンプレアブルを強いられた。グリーンにのせてからは15メートルのパーパットからカップ周りを行き来し、4パットのトリプルボギーで後退した。

 風が吹き始めた後半はさらに苦戦。第1打をバンカーに入れた11番(パー3)でボギー、14番(パー5)ではガードバンカーから脱出に2打を要してダブルボギーを喫した。

「良いバンカーショットを打てたけれど、それがダボになってしまって」と意気消沈。自らへの怒りを鎮めるために心を無にして76でホールアウト。トップとの差は19ストロークに広がった。

最終日

 クラレットジャグの姿があまりに遠く、小さくなったとしても、コースに姿を置く限り戦いを止めるわけにはいかない。どれほどリードしていようと、そうでなかろうとゴルファーには同じ18ホールを回る権利があり、挑戦の機会が与えられる。最終日、3オーバー80位からのティオフは全体の第3組目の午前7時40分。優勝争いを演じる最終組からは7時間以上も前だった。

 静けさの残る早朝の聖地で松山は熱のこもったプレーを見せた。スタートホールの1番、フェアウェイからの第2打はグリーン手前のクリークにつかまった。ドロップ後の4打目。ウェッジで打ち出されたボールはピンに向かい、カップの中へ。起死回生のパーで滑り出した。

「スタートがああいう形で、波に乗れた」。3番では2打目をピン奥からスピンで戻してチャンスを作り初バーディ。ショットにパワーと正確性が戻り、パー5の5番では風が穏やかだったにもかかわらず600ヤードの距離を2オンに成功。2パットでまたバーディを決めた。

 サンデーバックナインに入っても勢いは衰えず、復調した感覚を確かめるように丁寧にプレーを続けた。13番のボギーの後、すぐに14番でバーディ。初日にアスファルト上から打った17番をボギーにしても、18番でバーディを取り返すバウンスバックの応酬。締めくくりの67はこれまでに聖地で記録した2番目の好スコアだった。

 72ホールの中盤の失速で悩ましいゲーム展開となった4日間は68位に終わった。その陰では前の週に発症した手首の痛みに耐えていたという。それでも、全英の舞台から早々に下りるわけにはいかなかった。5年ぶりの大会予選通過は至上命題。セントアンドリュースでのメジャーチャンピオンとしての在り方だった。

オールドコースに刻んだ286ストローク。そのすべては未来の糧になる。松山英樹はゴルフの聖地との再会まで、きょうも軌跡を描いていく。